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悪魔の笑いか神の嘆きか 凍える世界に光はあるのか?
絶望、苦しみ、蹴散らして 高く掲げた拳はエナジー
誰かが呼んでる 今が戦う時だ
みんなが呼んでる そうだ聞こえてくる
いいぜ 鼓動を感じるぜ
もっともっとくれよパワーを このおれに
勝利がおまえの望みならば
やるぜ!見せるぜ!力の限り
未来に吼えろ ダ・ダン!
生き抜くために今
熱く滾る自由の声
解き放て ダダッダー!
燃え立つ怒りに震える銀河 スパーク!弾けて降り注ぐ
信じろ!手を取れ!畏れるな! 奮い立たせる拳のエナジー
砕け鋼を オオオでっかい愛で
切り裂け闇を オオオ溢れる夢で
そうだ おまえも立ちあがれ
きっときっと掴むぜ明日を この腕で
荒ぶる闘志と この痛みが
おれの、お前の、生きてる証だ
勝ち鬨あげろ ダ・ダン!
願いを込めて今
歌え叫べ響け届け
この魂 ダダッダー!
戦い続ける その運命(さだめ)は
固く誓った 男の生き様
勇気の拳 ダ・ダン!
命を賭けて撃て
そしていつか朽ち果てても
永遠に ダダッダー!
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曲の紹介
■背景
この企画で一番最初に着手された曲。
私(賀茂慶)の詩がまずあって、それに曲をつける形で作られた。
発注時の注文は水木一郎が歌うスパロボ系な曲というもの。
かなり早くメロディーのデモ版が出来上がってきてびっくり。
しかし、最初の詞に対して収まりきらなかった感じのメロになっていたため、構成の大幅な変更と詩そのものの修正を余儀なくされる。
よって、詩としてはまとまっていた原案から、メロにあわせる感じの修正案へと変化していく。また、修正する度に言葉の発音数が増えてしまうという傾向がでてきて、当初余裕をもっていたものがだんだんと忙しい感じに変化。途中で歯止めをかけたものの、結果的にはこの最終稿も字余り的な部分が幾つか残ることとなってしまった。必ずしも悪かったのかどうかはわからないが。
また、こうした詩の修正作業をしていく中で、最初の簡単なリズムと伴奏にメロだけというデモ音源の性質も手伝ってか、曲のイメージそのものに変化が出てきてしまい、自分で歌うはずの男性曲に女性曲のような歌詞を付けたバージョンまで出来上がってしまった。それが「負けないでLOVE」である。
既にその時点でタイトルも「負けないでLOVE」となっており、完全にその時点での「BRAVEナックル!!」のメロにフィックスした歌詞として出来上がっていた。
が、これにRYO-3さんが猛反発(^^;「BRAVEナックル!!」は男の曲だ!と熱弁を奮い、「それなら女性曲を別に作る」と宣言。ここではじめて「BRAVEナックル!!」と「負けないでLOVE」が両者並び立つことが確定したのである。
また、こうした展開の中、更に男らしいアレンジをと志向したRYO-3さんの気迫が現在の「BRAVEナックル!!」の雄々しいアレンジに成就したのである。
歌詞の方は、度重なる修正を経たものの、ほとんどが細かい変更で大枠には影響しなかったため、2001年2月末にフィックス。
■楽曲について
コンセプトは「ゲッターロボ號」VS「マジンカイザー」。
70年代と90年代の宙明サウンドの融合・混在がテーマ。
詳しくはブックレット記載のRYO-3氏のコメントを参照あれ。
■歌詞について
基本的には大きく3つの部分で構成。
1番で言うと、
「悪魔の笑いか」〜「エナジー」までが第一部。
「誰かが読んでる」〜「このおれに」までが第二部。
「勝利がおまえの」〜「ダダッダー」までが第三部。
1番はひとり立ち上がる話。
第一部は、序章というか幕開けというか背景の提示のような部分。
苦難の中にあって尚不屈の魂を奮い立たせよという呼びかけ。
第二部ではそれに呼応するかのような声を感じる、受容の部分。
遠くから聴覚への刺激に始まって、それがだんだん自分の内部の感覚に向けられ、外に向かって発する声になっていく、そういう感覚の変化を表現。
やや好戦的にテンションがあがっていく過程がそのまま、メロディーの盛り上がりとシンクロしているので自分では好きな部分である。
第三部は前半と後半と分かれているが、基本的には一緒。
前半は自分の感情や意志をぶちまける。有言実行な部分。
後半は呼びかけ。一般化抽象化普遍化みたいな意図も少しあり。
2番は大勢立ち上がる話。
第一部は1番と趣きが違って、大勢蜂起したはいいけど、その方向性を危うくしりそうな内在リスクを排して今一度纏め上げるような意味合い。
第二部はより呼びかけ方向に寄せてみた。
第三部に「勝ち鬨」とあるので実質局地的勝利を治めた状態。
繰り返しは戦いの継続とそこにある価値の話。
「たたかいのうた」に少し通じる空気。
■歌唱について
水木一郎の歌唱を想定。
なかなか歌いにくいところのある歌で、正直かなり苦戦した。
最初の1年は満足に歌えた試しがなく、2年目にはいってようやく形になってきたと言える。それでも水木を最後まで意識しきれなかったのは、練習不足なのか、そもそも力量不足なのか。
90年代テイストもあるので、最近の水木で歌うのはイヤだなという漠然とした思いというのもあったし、自分で作詞してしまったことで「おれはこう歌いたい」という意向がどうしても強く、それが水木化の妨げに大きく影響したと思う。
引き声や、拡散唱法、伸ばしの大袈裟ビブラートなどで一応はアプローチしてみたが、一般の人に水木ニュアンスだと主張するにはやや中途半端だったかもしれない。
レコーディングは70%一発録り。第二部やその他一部を録り直した。
2番第二部の「砕け鋼を」〜「溢れる夢で」までの部分が一番リテイク数が多かった。ここは最終的にレコーディング当日に歌い方を変更したので、いかにもそこだけ急仕上げな感じが残っている気がする(自分だけだろうか?)。
それとリバーブ&ディレイをかけた影響で「スパーク」部分の音量がやや弱く引っ込んだ感じなってしまったのが残念。スタジオのスピーカーで大音量で聴いてた時にはそんなに気にならなかったんだけど…。マスタリング前にヘッドフォンでもしっかり確認すべきと反省。
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